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「みんなの調布」からのつづき
仕事で、コミュニケーションセミナーの講師を務めている友人が遭遇した話。
都内で20名程度のコミュニケーション講座を担当させて頂いた時のことです。
初回に自己紹介をして頂いたのですが、参加者のおひとり、83歳のご婦人がこんな自己紹介をなさいました。
この方は、東京大空襲でご家族をみんな亡くして天涯孤独となり、自分が生きて行くために指圧の技術を身につけ、マッサージ師として70歳まで働いたそうです。
その後、縁あって都内に終の棲家を構え、新しい生活を始めた・・・。
ある時その方は、ふとこんな不安を抱いたそうです。
例えば買い物。スーパーで欲しいものをかごに入れ、黙ったままでもレジで精算出来てしまう。
好きなハイキングをしていても、途中で喉が乾けば自動販売機がお茶を売ってくれる。
このままでは私は友達もいないまま、誰とも会話しないまま生きて行ってしまいそう・・・。
そんなのは耐えられない!そう思ってこの講座に参加しましたと。
この自己紹介はとても印象的でした。
その後このご婦人は、講座でたくさんのお友達を作り、終了時にはパソコン教室への申し込みも済ませていらっしゃいました。』
今日の会話もこのお年寄りと殆ど同じような義母の話だった。
娘である我が妻と約1時間、その後都内に住む実の弟と約1時間、先週末のことだったそうです。
ただただおしゃべりをしたかったんでしょうね、きっと。
【高齢者はおしゃべりをしたがっているんです】
特に一人暮らしをされているお年寄りはなおさら。
おしゃべりをする機会が減ったお年寄りから衰えが進み、おしゃべり相手がいる方はいつまでもお元気でイキイキとされているのだそうです。
私が目指す地域のコミュニティーサロン“しゃべり場”(仮)はこんなお年寄りの想いを満たす場にしたいのです。
そして理想的には、保育園・幼稚園の子ども達とのコミュニケーションの場を併設する。
ある自治体の施設では、コの字型の建物の中庭に保育園があり、お年寄りが園庭で遊ぶ子どもたちを眺めることが出来、限られた時間だが、テラスで子どもたちとおしゃべりすることも出来るのだそうです。
その時のお年寄りの表情ったら無いんだそうです。瞬間、心がグっと和らぐんだそうです。
毎日毎日孫や曾孫とコミュニケーションしているようなものなのでしょう。
そしてこれが何ものにも代えがたい最高の良薬になっているに違いないんです、きっと。
これこそが高齢者のコミュニティーを行政が支えることの意義だと思うんです。
「高齢者福祉と幼児教育は担当部署が違って・・・」なんてことにならないように、市民目線で発想し、子ども達の情操教育の場にも活用出来、お年寄りの予防介護にも効果をもたらすようなそんな取り組みをぜひ提言して行きたいと思っています。
もし行政だけでは無理があるのなら民間の力も借りて取り組んだらいいんです。
こんな施設が京王線の地下化後の空地に出来たら素晴らしいと思うのですがいかがでしょうか・・・?